みなさまご無沙汰しております
by kyoncci
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お能をめぐる旅その3・談山神社
長々と続けてきました「奈良南部を中心とした旅」ですが、今回でめでたく?最終回となります。
最後はこれまた大変珍しい(でも日本人なら誰でも知ってる)あの事件の策謀が練られた・・・・ということで有名な談山神社です。



場所は桜井市、すぐそばが明日香村・・・・というまことに「奈良らしい」ところです。
多武峰と書いて「とうのみね」と読みます(普通は「たぶみね」だろう・・・)。
「あの事件」というのは646年に天智天皇によって行われた「大化の改新」、そう当時政治を牛耳っていた蘇我氏の馬子・蝦夷親子を抹殺し、政権を天皇家に戻したことです。

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桜や紅葉の季節は大変な人ごみだそうですが、今は訪れる人も少ない談山神社。
新緑に紅葉の赤い新芽が大変きれいです♪
「大化の改新」の前、中臣鎌足は天皇家をないがしろにし、私腹を肥やす蘇我氏を何とかしなくては・・・・と思っておりました。たまたま宮中の蹴鞠の会で皇太子・中大兄皇子に出会った鎌足は接近してゆきます。

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鎌足は蘇我氏の中でも馬子・蝦夷に敵対する蘇我石川麻呂の娘を正室に迎え、着々と「反蘇我」の足固めをしてゆきます。
そしてこの談山神社の辺りで「蘇我氏暗殺」の企てをする、中大兄皇子と鎌足。

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↑は多武峰縁起絵巻(談山神社所有)のひとこま。
右上で話し合うふたりが、中大兄皇子と中臣鎌足、と言われています。
なんか変だな・・・・ふたりの着物が平安風で決して大和風ではない。
(調べてみたらこの絵巻物、1668年>江戸時代に描かれたものでした!)

そして・・・ついに、運命の日。

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ひじょーにリアルに描かれています。(なんと蘇我蝦夷のお首が・・・たらーっ>汗が\(◎o◎)/!汗が)

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現在はそういう血生ぐさい謀りごとなどまーったく感じさせない、談山神社です♪
ちょうどシャクナゲのシーズンでした。

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ここで一番有名なのが、大変珍しい十三重塔でしょう・・・・
他でこんなのを見たことがありません。
言い伝えによると、天武天皇7年(678年)、中臣鎌足の長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地(参照:阿武山古墳)から大和のこの地に移し、この塔を造立したのが神社の発祥である、ということです。

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中臣鎌足、というとのちの藤原鎌足。それ以後の藤原氏の栄華の元を築いた人物。
でもその発端は初々しい一人の若者の、純粋に「世の中を正したい」という気持ちだった・・・・
のでしょうか?
この辺りの日本史は本当に面白いです、とにかく正史(日本書紀)に載っていないことが多いから「謎」だらけだし(笑)

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ところでなぜここが「お能をめぐる旅」なのか?ということなのですが・・・・

申楽談儀に記された「魚(結)崎座之事」という座規の中に「多武峰ノ役ノ事」という部分があって、そこには「大和の国は申すに及ばず、伊賀、伊勢、山城、近江、和泉、河内、紀の国、津の国、このうちにありながら上らずば、長く座を追ふべし」と書かれていた。座を構成する成員たちは、いつも同じところに一緒にいたわけではなく、小集団に分かれて各地を巡業しながら、節目の行事の際には全員が集まっていたことが察せられる。

多武峰ノ役とは、奈良県の談山神社への奉納をさす。結崎座はじめ大和の猿楽座は、春日神社の祭や興福寺の薪能などにも、参勤が義務付けられていたようである。

ーーーーという風に談山神社での能の奉納というのが、かなり重要な役であったと見られます。
また、ここのお能は普通のものとはちょっと違っていて
ちゃんと甲冑を着て行うのだそうです(普通の演能では「それらしい」ものを着て面を付けます)。
今回はちょっと見ることが出来なかったのですが ここにその時の写真が載っております。

前回お話した蛍能(阿紀神社)とともに、いつか絶対に観に行きたいなぁ・・・・

しかし奈良には本当に面白い催し物が今もまだ残っている、とつくづく思いました♪
今回こういう素晴らしい旅の企画をしてくださったSさんに、こころからの感謝を!
本当にありがとうございました<(_ _)>


ところで・・・・・
いつも来てくださって本当に皆様方には感謝しております、が。
今大変忙しいのと体調があまり良くない・・・・ということで、しばらく更新をやめようか?と考えております。
本当に申し訳ありません。
しかし今回の記事でもつくづく思ったのですが、この状態だと私にとっては楽しいものでも、皆さまにとっては「コメントのやりようが無い」ことが多くなってしまって、却ってご迷惑になるかと反省いたしました。
さりとてこの状態だとなかなか楽しんでいただける写真も撮りに行けないし・・・・・
GREEのほうでは細々と?活動を続けておりますので、写真はまたそのうちに、ということで(笑)
どうかご勘弁のほどを、よろしくお願いいたします<(_ _)>
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by kyoncci | 2009-05-24 23:07 | あをによし奈良の都は花ざかり
お能をめぐる旅その2・阿紀神社
千葉に来てそろそろ4日目になりますが、どうやら私は感染していなかったみたいです(笑)
ようやくマスクを外して暮らすようになりました・・・・

前回の丹生神社ではめざす「能舞台」は見つからず、少々不完全燃焼気味の私たちでしたが、さて二か所目はどうでしょうか?
ということで、やってきましたのは宇陀郡大宇陀町にあります阿紀神社



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前回の丹生神社は「うちの集落の神様」でしたが、ここはちがう!\(◎o◎)/!
構えからして由緒がありそうです。

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ほおおおおーーーーっ!すごいです。
まるで当たり前であるように神社の中にでっかい能舞台が・・・・・・
「おさんぽ」のメンバー全員が狂喜乱舞しつつ(笑)、とりどりにカメラを出して撮影を始めます。
そのときめちゃくちゃ難しい道を、たった一度の切り替えも無くさっそうと進入してきた車・・・
実はこのお社の管理人さんでした!
なんと~まるで私たちの到着を知っていたかのごとき登場に、一同唖然。
管理人さんに根掘り葉掘り?このお社のことを尋ねました。

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ここ阿紀神社は想像していたよりずっと古く、神武天皇が紀州熊野の難所を越えて宇陀の地まで進軍してきたとき、この地で御祖の神(=天照大神)を祭って大和の方へ押し出すと、日神の威勢に背中を後押しされて賊軍を打ち払うことができた。そのため、この地に天照大神を祭祀するようになった、というのであります。

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この地は元和年間(1615~1623)に織田藩の治所となり、その三代目の当主・織田長頼の頃に阿紀神社で能楽が奉納され、それを起源としてこの能舞台では、寛文年間(1661~1673)から大正時代まで能楽興業が行われてきたというのです。
かつて佐渡の能舞台を見た時もその立派さ・保存状態の良さにびっくりしたものですが、この能舞台も素晴らしいです。
少々橋掛(本舞台に通じる長い廊下のようなもの)は短いと思いますが、その大きさ・・・・
現在でもここでは年に一度「あきの蛍能」という公演を行っているようです。

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なぜ「薪能」と呼ばず「蛍能」といいますと、普通薪能は薪(たきぎ)に灯をともしてその明りで能を行うのですが
ここ阿紀神社ではすぐそばに流れる本郷川に蛍を放すそうです。
なんと・・・・風流な!\(◎o◎)/!日本一素晴らしい能舞台かも?
残念ながら今年の6月13日は行けそうにありません。。。。。
どなたかぜひ行ってみてくださいませ<(_ _)>

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↑はその時の写真です。みなさんお気づきの通り後ろに鏡板がありません・・・・・
管理人さんいわく「いやー倉庫の中にはあるんですよ、実は。
だけどね~おそらく戦時中の物資が少なかった頃に誰かが燃料用として燃そうとおもったんだろうね
実は焦げてるんですよ」
一同「(>_<)えーっ、そんなぁバチ当たりな!」
管理人さん「でも一応使えるもんだから、組み立てようかと思ったんだけどね、能楽師さんが“いやーいいですよこのままで。だって後ろにこれだけ豊かな林があるんだから”って言ってくださったものだからね、ずーっと鏡板無しなんです」
うへぇ・・・・・でも考えようによっては、その通りなのかも。

尚舞台の上には覆いの板が載せてあります。
というのもこの神社は普段無人なので、近所の子供が勝手に入ってきて舞台の上で遊ぶんだそうな(笑)
いやーそれは仕方ないなぁ~子どもにとってはすごく楽しい場所でしょうしねぇ・・・
ちなみに演能のときには柵も外します(でないと角とり>端まで行って扇をかざしてくるっとまわる、が出来ません!)

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この能舞台から右奥にあるのが本殿ですが・・・・
大変不思議なことに、その本殿の手前にずらっと並ぶ小さな祠・・・・
見ると縦に三つならんだものは。「大国主命」「月夜美命」「日臣命」
「オオクニヌシ」は言わずと知れたあの出雲大社の、国譲りをした神様。
「ツキヨミ」はおそらく「月読」、イザナギ・イザナミ神が右目から生んだ、と言われる夜を司る神様です。
(ちなみに左目からは天照大神が、鼻からは須佐之男命(スサノオ)が生まれたと言われています)

ここまでは良いんですけど・・・・・
その三つの祠に対してL字型に並ぶもうひとつの祠(ちょっと水いろっぽい屋根)、そこにはなんと「須瀬理姫命(スセリヒメノミコト)」と。
これはオオクニヌシの奥さんなんですよ・・・そして布都の姫。
普通オオクニヌシがこの位置じゃないですか?不思議・・・・

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そして、本殿の中にある神明造の建物、まさに伊勢神宮を彷彿とさせます。
もちろん天照大神が主神ですので当たり前なのかもしれませんが・・・・
それにしてもこの神社は面白いです、もっと私が歴史に詳しければよかったのに・・・・

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ということで、横の本郷川に行ってみました。
おそらくセグロセキレイの幼鳥?が嬉しそうにえさを捕っていました。

一番最初にある地図の中ほどに「かぎろひ公園」という地名をご覧になれると思いますが、
実はここはあの柿本人麻呂が「東の野にかぎろひのたつみえて かえり見すれば月かたぶきぬ」という
超有名な歌を詠んだ場所です。
人麻呂は草壁の皇子の亡霊に出会ったのでしょうか・・・・冬の寒い朝、かぎろい(奈良のこの地方だけに現れるという冬の陽炎)の中で。
というわけで、ますます面白くなりつつある?奈良南部の旅、次回に続きます!

今強烈に忙しくて、コメントのお返事が遅れることが多くなっております。
みなさまのブログにもなかなかご訪問できなくて、本当に申し訳ありません<(_ _)>
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by kyoncci | 2009-05-21 18:25 | あをによし奈良の都は花ざかり
お能をめぐる旅その1・丹生神社
関西で生まれ育ち24歳まで住んでいたというのに、奈良へ行ったことはほんの数回です。
これは単に私の実家のある西宮北口が阪急の駅であり、阪急に乗って奈良へ行くには大阪梅田で数回乗り換えなければならないという便の悪さ、のみが理由です。
十三で乗り換えて一本でさっと行ける京都とはわけがちがうのです・・・・
ところが阪神線から直接奈良へ行くことが出来るようになりました。(西宮北口から阪神に乗るためには、阪急今津線を2駅南下すればいいだけです!)

そんなわけでこの春からずっと「一度奈良に行ってみたいな・・・」と思っていました。
ですから「おさんぽ」のメンバー、れっきとしたプロカメラマンのSさん(美女です!)が「GW開けにまだ実家の奈良に居るのだけど、ご一緒に奈良の神社を廻りませんか?」と誘ってくださったときは、正直「天に祈りが通じた?」とすら思いました(*^_^*)

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というわけで、今私たち(「おさんぽ」のメンバー数名)は奈良・榛原にある丹生神社の竹やぶにおります。

恥ずかしながら私は榛原が「はいばら」と読むことすら知りませんでした。
奈良のごく一般的な観光地すらあまり覚えていない、というのに
一番最初に行った場所は宇陀市菟田野町入谷という山また山の集落・・・・・・
車を運転して下さったUさんがいらっしゃったので、何とか行きつけましたが、もし徒歩だったらおそらく何度も道を間違えてとても時間がかかったことでしょう。

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山深いところです・・・・
もちろん一般的な観光ガイド本には載っていません。
実は今回の撮影会は、ごく一般的な場所にはほとんど行きませんでした。
企画してくださったSさんは能にもとても堪能なお方。(お母様が金春流を長く習っておられるのです)

ところで皆さんは「能のふるさと」と言うとどこを想像されますか?
京都?いえいえ・・・・実はここ奈良県南部がその発祥の地なのです。

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もともと日本の舞踊の始まりは、4・5世紀に聖徳太子が秦河勝(はたのかわかつ)に命じて、諸人快楽(しょにんけらく)のために六十六番の遊宴を行い、 これを「申楽」と名付けたことである、と言われています。
秦氏は中国・秦王朝(秦の始皇帝を開祖とする)の流れをくむ渡来人で、日本に機織りの技術を伝えたと言われています。
その舞踊は基本的には豊穣を祈り、神仏によろこんでもらえるようなものだったでしょう。

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時代は13世紀、その当時は奈良にはいくつかの申楽を行うグループがありました。
特に有名だったのが法隆寺に奉納していた坂戸座と、談山神社に奉納していた外山座と結崎座、初瀬寺の円満井座、の四座でした。
 当時、この四座を大和四座と呼んでいましたが、これが現在の観世、金春、宝生、金剛という五代流派のうちの四流派の源流でした。四座を現在の流派に当てはめると、観世流は結崎座、金春流は円満井座、宝生流は外山座、金剛流は坂戸座となります。(喜多流だけは江戸時代に発生しています)

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当時結崎座の座長であった観阿弥は、その子・世阿弥とともに京都にある今熊野神社に向かいました。それは、鎌倉幕府の将軍だった足利義満のために申楽を舞うためでした。
 そして観阿弥親子の舞いを見学した義満は感激のあまり、親子のスポンサーとなって申楽を養護するようになったのです。このときから、結崎座は猿楽業界トップの座へと登りつめ、観阿弥親子は能楽史上の不世出のスーパースターとなったのでした。
しかし、今回の旅では京都で開花してゆく能ではなく、その奈良での創生期を追ってみようというのがテーマでした。

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言い伝えではこの丹生神社にも古い能舞台がある、ということだったのですが・・・・
探してもそのようなものは見つかりませんでした。
お社が新しく感じられたので、ひょっとしたら作り変えられた時に舞台は撤去されたのだろうか?
とSさんや他の皆さんと話し合ったのでした・・・・・

それにしても丹生(にう)という言葉をきいて、皆さんは何を想像されますか?
実は丹生、というのは水銀の意味なのです。
ですから全国にある丹生という地は、大なり小なり水銀の産地であったり何か関係があるのですが・・・
ここはまったく関係なさそうです。
それに不思議なことに、奈良南部には丹生○○神社というのが3つもあるのです!
面白いですね~やっぱり京都奈良は。(和歌山にも丹生神社が多いようです)

千葉に戻ってきています。
私が関西を発った時神戸では新型インフルエンザの患者がわずか4人だったのですが・・・・
あっという間に増えましたねぇ~(-_-;)
一応千葉に来る時もずーっとマスクを着用し、今もずっと付けてます(寝る時も!)
というのはもし私が感染していたら、息子はじめ千葉の方にうつすわけになりますから。
今のところ発熱・咳などの症状はまったく出ておりませんが・・・・

プライベートの仕事が忙しく、なかなかブログが更新できません。
写真を撮りに行く暇もありません・・・・・
ということでいつも2日に一回くらい更新していたのですが、今月来月は滞る可能性があります。
せっかく来ていただいたのに、本当に申し訳ございません<(_ _)>
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by kyoncci | 2009-05-19 19:29 | あをによし奈良の都は花ざかり
もう一度春を満喫?六甲高山植物園その2
六甲高山植物園からの二回目・・・・・
この公園の素晴らしさは、何も草花だけではありません。

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林が多い・・・・しかも白樺こそありませんが、いわゆるリゾート地にあるような木々もあります。

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↑これはカラマツ林。

からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。北原白秋「落葉樹」
ーーーーーのあの唐松です。でも春先の唐松は新しい新芽が沢山延びてぜんぜん寂しくありません(笑)
秋になったらまたこの林をひとり歩いてみよう・・・・

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今更ながら思うのですが、西宮に来た時「なんて街中に緑が少ないんだろう」とがっかりしました。
特に東京のように巨大庭園がたくさんあるわけじゃなし、千葉の家のように近所に現役の農場が何軒もあるわけじゃなし(千葉は酪農王国)。
でも思えば後ろにびしーっと六甲山系が控えているんですよね。
車で15分ほど走ればすぐに甲山(六甲山系の西の端の小山)、30分もあれば主峰六甲山に行けちゃうわけでです。

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土曜日曜の朝などに阪急神戸線に乗りますと、ハイキング用の格好をしたおじさん・おばさんがいっぱい乗っておられます。
あーこれから芦屋川や御影で降りて、六甲を歩かれるんだな~(*^_^*)
前に「六甲山がもうちょっと高くて冠雪してくれたら」などとバチ当たりなことを書きましたが、もしもっと高ければ当然神戸の気候はもっと寒くなっていたでしょうし、こんなに気軽にハイキング出来なかったでしょう。

阪神タイガースの応援歌も「六甲おろし」。甲子園から北を見上げれば「いつもここで見てるからな(アホな試合するなよ)」とでも言いたげな六甲山の雄姿です。

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福島県・五色沼で見たオオカメノキも・・・・
この六甲山、今は新緑の季節で阪急電車から見る山の姿はでっかいブロッコリーのようですが(笑)実は明治中期までは全山「はげ山」だったそうです。

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 「瀬戸内海の海上から六甲山のはげ山を見てびっくりした。はじめは雪が積もっているかと思った」

 1881年4月に、神戸を訪れた植物学者・牧野富太郎氏は、当時の六甲山の様子をこう記しています。草木が生えないうえに土まで流出し、露出した花こう岩類が白い雪のように見えたのでしょう。
 六甲山では、秀吉の時代から、木材や芝の過剰採取が始まったといいます。江戸時代はさらに荒廃が進んで保水力を失ったらしく、四十回以上の水害が記録されているそうです。
 現在ですら去年の夏の鉄砲水事故のように、山に降った豪雨は数分で川に放出されるわけですから、このころは大変だったことでしょう。

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それを数十年のスパンで変えていったのが、地道な植林とダム建設でした。
今ではいろいろと問題も多いダムですが、当時としてはそれ無しでは治水は出来なかったでしょう。
改めて先人の努力に感謝したいです。

また、牧野氏はここ「六甲山高山植物園」の開園に多大な功績を残されました。
氏が今生きておられたら、立派に再生された公園の木々をみてきっと喜んでくださるでしょうねぇ。

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「お父さん、今年の桜もきれいにさいてくれましたねぇ~」
「うん、もう終りやけどな。来年もまた咲いてほしいな」

往く春を惜しむように、老夫婦が桜の木の下で語らっておられました。
来年も再来年も、子供にも孫にもこの風景を残してやれるように・・・・・
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by kyoncci | 2009-05-16 03:20 | ひょうごの山と草花
もう一度春を満喫?六甲高山植物園その1
一眼レフを始めたころは、千葉の家のすぐそばにあるハーブレストラン「ポプリハウス」のお庭が、私のフィールドでした。懐かしいなぁ~一週間に一度くらいは通い詰めて、朝早い時間まだお客様が来ないときにこっそりと撮らせてもらったのでした。
一眼に慣れてきたころから草花だけ撮るのに飽きてきて、今度はちょっと遠い(でもとても広い)京成バラ園が新たなホームになったのでした。
そして兵庫県の西宮市で住むようになり、ここは本当に街中なのでどこにも「ふらっと撮りに行く場所」が無くて、非常に悲しかったです。

春先になり桜の季節も終った頃・・・・ああ、これが千葉だったらそろそろどこへ撮りに行ってるかな?
と辺りを見回すと、そうだ!とても近所とは言えないけれど「六甲山高山植物園」がある!
調べてみると、なんと水芭蕉が咲いているとのこと。喜び勇んで行って参りました。

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正門を入ってすぐの一番目立つ場所に、点々と白い花が・・・
ああ~思い出す尾瀬の大江湿原を・・・・(まぁちょっとせせこましいですが(-_-;))
この植物園は高度900メートルくらいの高さにありますから、神戸の街とは3度~5度の差があります。
つまり平地ではそろそろ夏に向かおうという暑さでも、すっきり爽やか春のままなのです。

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残念ながら最盛期は少し過ぎていました。
やっぱりHPで「最盛期」とUPされている場合、もう遅いことが多いですね~
それでもまさか六甲で水芭蕉を見ることが出来るとは思いませんでしたから、嬉しかったです♪

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京成バラ園は水回りの草花が少なかったですが、ここはもうばっちり!
お名前が判らなかったのですが、きれいな水草・・・・
一眼レフを始めて最初のうちはこういう小さな花ばかり撮っていました。
マクロレンズが望遠レンズになり、広角レンズを使うようになってどんどん被写体は変わっていきましたが
いまでも小さな野の花を撮るのは大好きですし、私の原点だと思っています。

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何とっ!いまだかつて高山では見たことのないシラネアオイも咲いていました。
もちろん出来たら高い山の上で見たいですけど・・・・・
そんな贅沢なことは言っておられません(>_<)

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シラネアオイ(白根葵)は日光の白根山に多く咲き、キンポウゲ科とされていましたが,今はシラネアオイ科シラネアオイ属シラネアオイ…つまり,一属一種で日本固有の植物、ということに現在はなっているそうです。
しかし天女のうす衣のような花びら・・・・美しい花ですねぇ(*^_^*)

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イカリソウ、これは京成バラ園にもいっぱい咲いていましたが・・・・
その独特な形ゆえ、とても写真が撮りづらい花です。
もちろんその形が船の碇に似ている、ということから付けられた名前なのですが
私にとってはこの花とツリフネソウ・タイツリソウは、非常に難しいのです(T_T)形が独特でしょう?

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うって変わって、とっても花らしい花・ニリンソウです。
ちゃんと二本花が出てます・・・・一本だとイチリンソウと見分けがつかないかも(笑)
もちろんイチリンソウのほうが大きいし、見れば違いはすぐわかりますが
形はおなじようなものなので写真に撮ると、よくわからん・・・(ーー゛)

最後になりましたが、虫のお嫌いな方。。。。どうぞご注意くださいませ<(_ _)>

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トウダイグサで蜜を吸う、カ?の一種でしょうか・・・・?
タイトルは「長い手足がジャマやねん!」ではいかがでしょうか・・・・
やっぱり関西の子ですので(笑)一応関西弁で(*^_^*)

今回は小さな草花を集めてみました。
次回は木に咲く花と木々、をUPいたします。
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by kyoncci | 2009-05-13 15:52 | ひょうごの山と草花
恋と人情の曽根崎あたりを歩く
久しぶりに?大阪の梅田界隈を歩くことになりました。
いつも梅田へ来るときは、地下街を通ってお目当てのビルまできたら地上に上がる、と言う感じなのですが、この日は西天満で息子の用事を済ませ、ぶらぶらと梅田へ戻ることとなり・・・・



いやー普段ほとんど梅田の地上を歩かないので、ものすごく新鮮。
天満の辺りは東京のオフィス街に似てるかも・・・・・
裁判所があるのでやたら弁護士事務所が多い町ですね♪
(かの有名な橋下知事>元弁護士の事務所も発見!\(◎o◎)/!)
でもももっとビックリしたのは

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うわー何なんだ!この古色蒼然としたビル・・・

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ネーミングも「大江ビルヂング」!!
これだけ優美なすがたなのに、どう撮っても前の電線がじゃまっ!(ーー゛)
家に帰って調べると、このビルは大正10年(父とほとんど同い年)弁護士の大江氏が法律家の事務所ために作ったテナントビルのようです。
設計は葛野壮一郎(かどのそういちろう)、他の作品としては中央電気倶楽部というビルがあるそうです。
そこからまた少し梅田よりに歩くと・・・

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巨大なビルの一階部分を大きく刳った・・・こちらも思わずぎょっとする建物です。
その向こう側に見えるのは・・・

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なんと神社!これはーーーもしかして有名な「お初天神(露天神社)」ではないかと?

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このお社の起りはかの菅原道真公がこの地で京都を思い出し、涙(=露)を流された・・・というものと、「梅雨のころに井戸の水が湧いた」というものとあるらしいです。
というわけで祭神は少彦名大神と菅原道真ですが、実はここはもっと有名な事件が起きた場所なんですね♪
それが元禄16年(1703)近松門左衛門がこの境内で実際に起きた心中事件をもとにして書いた「曽根崎心中」です。

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現在はビルの谷間のような場所ですが、昔ここで将来を誓い合った若いふたりの男女が
世間の冷たい目に耐えかねて、お亡くなりになった・・・・という場所なのです。
(物語のあらすじは、↑のリンクをクリックしてwikiでお楽しみください)
この物語の女主人公(つまり最後にお亡くなりになる)の名前が「お初」、ということでこの天神は「お初天神」と呼ばれているのです。
それにしてもこの浄瑠璃はおお受けに受け、それまでヤマトタケルの神話などを扱っていたのにこれ以降は「世話物」と呼ばれる現代劇(当時にとっては)が主流になった、といわれています。
また、公演を行った道頓堀の竹本屋はこの大当たりで一気にそれまでの借金を返せた、ということ。
今も昔も、人々に熱狂して受け入れられるものを創る、というのはすごい偉業です。

ただし・・・・その後いろいろな心中物が作られ、それを真似して亡くなる男女が増加したため
江戸幕府は享保8年(1723年)に上演を禁止すると共に心中した者の葬儀を禁止するなどの措置をとりました。
近年でもアイドル・岡田有希子さんの自殺のあと、次々と自ら死を選ぶ若者がいましたっけ・・・・
とはいえ。

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アハハ・・・やっぱり大阪やっ!(*^_^*)
こういう絵馬を見たら勇気が出ます、しかも女の子です。

がんばって、はよう一人前の芸人さんになれたらいいね♪応援してるよ~

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お初天神の横は飲み屋街になっています♪
サラリーマン風のおっちゃんが、忙しく通り過ぎていく・・・・がんばりやアンタも(*^_^*)

ということで今回の大阪梅田編は終了でごさいます。
カメラもルミックスしかもっていなかったのでお粗末写真でございますた、たまにはお許しください<(_ _)>

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最後になったのですが、境内で見かけたヘンテコ植物。

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↑ これ、一体何なんでしょう??(-_-;)
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by kyoncci | 2009-05-11 02:38 | すっきやねん大阪
周山街道を通って京北へ・その4
今年のGWも終ってしまいました・・・・結局私はどこへも行かず、ひたすら草ひきをしていました(笑)
めぼしい写真も何も撮れず、ついに京都の常照皇寺も4回目になります。
今回は今までに載せきれなかった「ちいさなもの」に目を向けて・・・・

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桜以外の花といえば、シャクナゲが見事でした。
このお花、何度撮っても満足がいきません。これも平凡~とは思うものの、お寺の山門を背景にしたので少しはマシ?かと思って・・・・(>_<)

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真っ赤な紅葉が美しかったお池に写る木の影。
はらはらと桜が散って・・・

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赤い金魚が跳ねたあと、水面に丸い輪ができました・・・・
たったそれだけのことなんですけど(>_<)

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「み車返しの桜」の下には、こんな可愛い菫が咲いていました。

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光厳天皇の御陵へ続く塀の上に、ぽつぽつと出た苔の芽?
あまりに美しいので撮ってしまいました・・・・

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おなじく塀の上に生まれたシダの芽?
なんだかハートの形みたいで可愛くて撮ってしまいました(*^_^*)

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季節は確実に、春から夏に向かっておりました・・・・

4回にわたって長々とお送りした「京北の隠れ寺・常照皇寺」ですが、
本当に行って良かった、と思います。
「南朝が正統」とした明治政府のために歴史上埋もれてしまった天皇・光厳天皇のことを知ることが出来ました。
彼の人生は本当に数奇・・・・
正統な皇太子として生まれたのに、本来なるべきでは無かった人・後醍醐天皇が横から割りこんで一旦失脚。しかし後醍醐は鎌倉幕府転覆を企てて流され、ようやく天皇の位へ。
しかしそののち後醍醐ー足利尊氏のラインがひかれて鎌倉幕府が倒され、また後醍醐が戻ってきてしまいます。しかしその蜜月状態もすぐに終り、今度は自分の息子が天皇になります。
そのあと後醍醐に息子ともども拉致監禁・・・・
いやはやものすごい生涯です。「歴史の流れに翻弄された天皇」というのは、まるで彼のためにあるような・・・・
こういう人のことをね、もっとNHK大河ドラマで取り上げてほしいものです。いつも「成功したひと」ばっかりじゃね。西行法師とか千利休とか・・・新撰組はそれなりに面白かったけど。
現在の「天地人」のあとは坂本龍馬の「龍馬伝」ですが、その次は記念すべき?50作品目ということで、もうすぐ発表されるみたいです。
巷では聖徳太子?足利義満?(二人とも確かに大物・・・)という声も上がっているみたいですけど、ちょっと見方をかえて「運慶・快慶」なんていかがでしょうか(笑)
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by kyoncci | 2009-05-08 00:47 | 京都・千年の都
周山街道を通って京北へ・その3
晴天続きの先週とうって変わって、良くても曇り・悪い時は土砂降りというGW後半でしたが、ようやく山を越えた感がありますね・・・・
ご旅行に出かけられた方はおつかれさま、そしておうちで過ごされた方もそれなりに気疲れ?されたのでは無いでしょうか・・・・
今回は京北・常照皇寺の第三回目、おもに内部の写真をUPさせていただきます。

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お庭から方丈へつづく石畳・・・
適度に花びらの敷き詰められた道、木漏れ日が我々メンバーの肩を包みます。

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まことにお恥ずかしい話ですが、この歳になるまでまったくというほど仏像に興味がありませんでした・・・
おそらくそれは私が若いころ、キリスト教の学校に通っていたからかも知れないのですが。
中央におわしまする如来が釈迦の解脱した姿であり、脇待の菩薩が釈迦の出家前の姿を現す・・・というごく基本的なことも知りませんでした。
なるほど~言われてみると中央像は簡素なお着物、脇の二体は優美な衣装を纏われています。

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残念なことにいまだ仏教の教えはよくわかりません、しかし
何かに縋ろうとするひとの心は、よくよく解るようになりました・・・・・

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外を眺めると、さーっと強い風にはらはらと舞い落ちる桜。
光厳天皇もこういう風景を楽しまれたのでしょうか。

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光厳天皇の在位はわずか1年9カ月、史実では「日本の天皇のなかで唯一、戦争責任をとって自ら辞められた天皇」とあります。
南北朝混乱の責任は私は後醍醐天皇にある、と思っていますが・・・・光厳天皇はそうは思われなかったようです。
不思議なことに現在の天皇制では、この北朝時代の天皇たちはまるで無視されています。
いろいろと人に言えない理由がありそうです。

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秋でも無いのに?鮮やかな赤い楓を見つけました。
どのかたも驚かれるようです。
昔私の母が好きだった「血潮」と呼ばれる種類なのでしょうか?

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鮮やかに染まる廊下・・・・
「床みどり」(新緑の緑が床に写る情景)は知っていましたが、これは「床あかね」?(*^_^*)でしょうか。

次回は常照皇寺の最終回、さまざまな小さい可愛いものを取り上げたいと思っております。
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by kyoncci | 2009-05-06 01:25 | 京都・千年の都
周山街道を通って京北へ・その2
世間ではGWのまっただなか、みなさん海へ山へと楽しくお出かけのことと思います。
実は私も今年最後になる主人の東北滞在の最後を飾って、岩手~青森の旅を企画していました。
ところが諸般の事情で(笑)遠出することが不可能となり、仕方なく主人と息子が関西へやってくる、という展開になり(-_-;)宝塚の家の草ひきなどやりながら、時間をつぶしております。

で、京北・常照皇寺の第二回目です。

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山を登って、境内へやってきました・・・・
山門の向こうに、すばらしい桜が見えます!

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NHKドラマで取り上げられていた白洲次郎夫人・正子氏はここ常照皇寺が大のお気に入りで
その著書「かくれ里」で
山門を入った所が本堂で、ここに有名な「車返し」の名木がある。ひと重と八重の入り交った品種で、江戸初期の御水尾天皇(徳川家光が二条城へお招きした天皇)が、あまりの美しさに車を戻して何度もごらんになった所から「車返し」または「み車返しの桜」とも呼ばれる。
と、書いています。

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この庭にはこの桜と、「九重の桜」と呼ばれる古木と、「左近の桜」の3本の名木があります。
「九重の桜」は根元の周囲4.4m、周囲3.6m、樹高10m、最大枝張り11m、枝回りが最大20mあるといわれる美しい巨木の枝垂桜で、この庭の主とも呼ばれる名木ですが、残念ながらすでに散ったあとでした。
「左近の桜」は岩倉具視が京都御所紫宸殿の「左近の桜」より株分けし手植したと伝えられます。こちらもほとんど花は残っておりませんでした。

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3本の開花時期が微妙にずれるため、同時に満開を見る、ということは出来ないようですが、今回は「御車返しの桜」だけでも満開を見れて良かったです・・・・
何でも古ければよい、というものでもないでしょうけれど、こういう齢数百年を経た桜の木は「その木自体に魂が宿っている」かのような雰囲気を醸し出しています。
まるでその木を愛でいとおしんできた人々の想いが籠ったような・・・・

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枝垂れ桜はすでに葉桜になっておりましたが、地面に広がる薄桃色の花ひら・・・
死んでもまだその鮮やかさ・たおやかさを失わない。
まるで瞳を開けたまま倒れる美女、のごとくです。

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本堂ではただ黙って散る桜を眺めるひとびと・・・・

次回は方丈・境内内の写真をお届けいたします。
しかしこのお寺、ぜんぜん知らなかったのですが大変気に入りました。
京都のお寺でたまに感じる「高慢なイメージ」がまるでありません。
優しい穏やかな、それでいてちゃんと雅な「いかにも京都」を感じさせる場所です♪
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by kyoncci | 2009-05-04 16:45 | 京都・千年の都
周山街道を通って京北へ・その1
約25年ぶりに関西で桜を楽しむことになったわけですが、またしても「おさんぽ」の撮影会で京北へ連れて行って頂きました。
今までの撮影会では「遠い昔に行ったことがある」か「行ったことは無くても、場所の名前くらいは聞いたことがある」ところばかりだったのですが、今回ばかりは聞いたことも行ったこともない場所でした。
それが京北です。

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京都は内陸の都、昔若狭で捕れた魚を塩漬けにして周山街道を通って人々に届けました。この道は「鯖街道」とも呼ばれています。
都から逆に少しだけ北へ・・・・・そこが京北、現在でも杉の産地であり筍や農作物の宝庫です。
今回のメイン、常照皇寺はそこにありました。

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門前にある大きな枝垂れ桜・・・・
全体が撮りたかったのですが、みなさんが思い思いにお弁当を広げて楽しんでおられるのでちょっとご遠慮いたしました(笑)
この寺を創建したのは光厳天皇、まったく知らなかったのですが・・・・・この方、実に数奇な人生を歩まれておられます。

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生まれは1313年(正和2年)、当時は鎌倉幕府の裁量によって大徳寺派と持明院統の天皇が「10年ごとに入れ替わり天皇になる」という滅茶苦茶な事態だったわけなのですが(歴史の教科書で習ったことがあるような??)、とにかく当時は
後二条(大覚寺統)94→花園(持明院統)95→後醍醐(大覚寺統)96→邦良親王(大覚寺統・後二条嫡男)→量仁親王(持明院統、のちの光厳天皇)
という路線が決まっておったようです。本来は後二条天皇の息子邦良親王が本来96代天皇になるはずだったのですが、幼少だったために一時的な措置として後醍醐が立ったということです。
ところが・・・・皆さんもよくご存じのとおりこの後醍醐天皇というのがとんでもない人でした。

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後醍醐は力を失いつつあった鎌倉幕府倒幕を企てそれが露見して隠岐に流され、繰り上がり?で光厳天皇が立ちます。
お情けで?天皇になったくせに後醍醐はかたくなに譲位を拒み、広義にはこのときから南北朝が始まったのでした。

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山門から登っていくと、遠くに光厳天皇の御陵が見えてきました・・・
光厳天皇の苦難の道?はまだまだ続きます。
その後足利尊氏らによって鎌倉幕府が滅ぼされ、天皇もまた退位させられて後醍醐天皇が隠岐から戻ってきます。
後醍醐天皇が普通のひとであったならば、めでたし・めでたし♪だったのですが・・・
この人はなんと!自分を助けてくれた武士階級を徹底差別して報償もろくに与えなかったので、足利尊氏らは離反し建武の新政はみごと?失敗に終わります。
尊氏軍に都を攻められ、後醍醐は大和吉野に逃れて南朝を立てるわけですが、なんとそのときに一緒に光厳天皇(当時は上皇)も人質として連れて行った・・・・といいます。軟禁生活は十余年だそうです。

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晩年は京に戻り、出家してここ常照皇寺を起こし静かな余生をおくられたそうですが・・・・
光厳天皇の人柄はあまり伝えられてはいませんが、とにかく歌道に優れておられたそうです。
とにかく同世代の天皇・後醍醐が良きにつけ悪しきにつけパワフルで個性的?過ぎたので、埋もれた感じの天皇ではありますが・・・・

次回はお寺の内部をくまなく?UPさせていただきます。
60年にわたった南北朝初期の動乱の日々、上皇はここで何を考えてひっそりと暮らしておられたのでしょうか・・・・
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by kyoncci | 2009-05-02 01:59 | 京都・千年の都


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